『同胞へ』(2020.09.28)第二版
『祈り』と題された写真を見た。
若い女性がひとり、植物を持って祈っている。薄く開かれた目は、どこを見つめているのだろう。何に祈っているのか、何のために祈っているのか――。
図らずも、写真を見て嗚咽をもらした私に分かったことは、赤い唇と赤い植物がキスをしていた、ということだけだった。
『紅葉の木の精』(2020.11.26)第二版
紅葉の写真を撮っていたら、小さな女の子に話しかけられた。曰く、紅葉達が綺麗に見える角度を知っているという。言うが早いか、軽い身のこなしで木に登っていく。たまには人物写真も悪くないかと思い、紅葉を背景に様々なポーズをとった女の子をフィルムがなくなるまで撮影した。撮影は順調に進んだ。
カメラの存在は知っていたものの向けられたのは初めてで、嬉しかったから話しかけた、と撮影の合間に彼女は言う。
別れ際、現像した写真を見せにくることを約束する。
帰宅後すぐに現像してみると、そこには紅葉だけが綺麗に写っていた。
『ペルソナ』(2021.03.28)
「これ以上、ペルソナを増やしたら危険だ」って、あの人はよく言っていたんです。だんだんもとの自分が分からなくなるから、と。
でも、やめられなかった。話す人によって、状況によってペルソナを付け替えることを。そうして、あたしは私になり僕になり俺になり……。最後に残ったのは、誰?
『夜を游ぐ』(2021.06.26)第二版
受験勉強に倦み、予備校をサボって僕がいたのは、夜の雑踏だった。人とぶつかりそうになりながら、当て所なく歩く。目的地も将来も。そうしたら、月明かりの下で誰よりも上手に、人混みをかき分け歩く人の姿が目に入った。――それはまるで、夜を游いでいるかのようだった。
『猫みたいな君と雨』(2021.10.24)
閑静な住宅街の片隅に、君はいた。立ったりしゃがんだり、曇り空を見上げたり。差している日傘をクルクル回したりもしている。
その様子が、なんだか猫みたいだな、と微笑ましい気持ちで思う。
ポツリポツリ、と雨が降り出した。
――おっと、いけない。見入っている場合じゃなかった。道に迷って大幅に遅刻していたのだ。その上、濡れ猫にさせるわけにはいかない。
大急ぎで走り寄り声をかける。
「遅くなって、ごめん!」
「びっくりした、大丈夫だよ。猫を眺めて待っていたの。ほら、あそこ。雨で濡れないといいんだけど!」
『大阪の夜は明るい』(2021.10.31)
大阪の夜は明るすぎて疲れる、と彼女は言った。
彼女に付き合ってもらって大阪を観光した後、わたしが泊まっているホテルへと戻る前に小休止していたとき。
光を目に入れること自体がしんどいらしい。確かに、今日はずっと一緒にいたのに一度もスマホを見た様子がない。連絡も、いつも電話が多い。
「スマホ、捨てたいんだよね」
考えが声に出ていたのだろうか。鞄のなかから取り出したそれを、今にも振り被ろうとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて止めに入る。彼女と連絡を取る方法は、これしかないのだ。
「さすがに捨てないよー、今はまだ」
わたしの慌てぶりが可笑しかったのか、笑ってスマホを鞄に仕舞いながらそんなことを言う。
「これがなきゃ、連絡取れないもんね」
遠方に住んでいるわたし。
「星が見えない夜はなんのための夜か分からない。星が見える場所に住みたい。よくみえるところに」と彼女は一気に言った。
それを聞いて、帰るときに言おうと思っていたことを今、言うことにした。
「じゃあ、こっちに来る? 星がよく見えるし、ほら、いつでも話せるし、さ」
『涙でコスモスが滲む』(2021.11.14)
「戻ってきたら、伝えたいことがある」
そう言って戦場に赴いた彼は、戻ってこなかった。
この国の王女として生まれ、乳母になったのが彼の母親だった。少し先に生まれていた彼とこの城で遊び、勉学に励み、ときに喧嘩と仲直りを繰り返して一緒に育った。
「大きくなったら、私と結婚してくれる?」
幼い頃、花畑でかくれんぼをしたとき、そう言ったことがある。あのとき彼は、なんと答えたのだったか――。
彼との思い出が押し寄せる。止めどなく涙もあふれてくる。私は彼の亡骸を見ていない。だから、もしかしたら彼が戻ってくるんじゃないか、と毎日部屋の窓から城門を見る。
知らせを聞いてから一年が経ったのだ。そんなはずはない。頭では分かっていながら。
涙でコスモスが滲む。窓際にあるそれは、彼が一番好きな花だった。よく赤色のコスモスをプレゼントしてくれた。
お腹が鳴る音。三食きちんと食べるように、と彼が言っていたことを思い出す。涙を拭う。
昼食を食べよう。そう思って窓から離れようとしたとき、視界の端で何かを捉えた。城門に衛兵以外の誰かがいる。今日の来客はない、と朝食の席で父が言っていたはず……。
城に向かってゆっくり歩いてくる人。すると、乳母がその人に駆け寄るのが見えた。もしかして。もしかして、あの人は――。
『空を見上げる』(2021.12.12)
人はなぜ、空を見上げるのだろう。雲を見ているのか、空の色を見ているのか、鳥を見ているのか。それとも、見ているのは天国……?
開かれた場所――特に港、空港――で、空を見上げるのが好きだ。世界は広い、と感じることができるから。大勢の人が、来ては去る。いろいろな乗り物で、それぞれの場所へ。
空港近くの砂浜で、カメラを構えファインダーをのぞく。一枚、二枚、三枚……と間を置かずに撮っていく。動いているもの、飛行機を撮るのは難しい。
ファインダーから外れてしまう、と背中を思い切り反らせた。
飛行機と月が、束の間の逢瀬を遂げた。